自慢の巨大HOレイアウトは案外僕もこどもたちもそんなにはどうでもよくて、3分ぐらいでパス。
ベタではあるが、転車台を中心として各種車両を展示しまくりの、この鉄道博物館のメイン展示、ヒストリー・ゾーンである。
うわあ来ている、なのであるが、気をおちつけて、まずは2Fの文化展示まわりから片付けていく。
車両運搬車に載ってるのが、ぜんぶアルブレヒト・ゲイツ氏デザインの初代日産シルビアだったりするのも、なんとも泣けるじゃないですか。
つまんないー、やすみたいよーという娘にこたえて(気の毒になあ)、ちょっとカフェテリアへ。というか店名がTDというのは食堂車のアレのようである。お店の看板に、店名のTDを中心に編成記号っぽいのが書いてあるのが相当やばく、重症感がある。
テーブルに描いてあるのもダイヤだったりする。
車両展示。いきなり国鉄101系とか、泣ける。
(さっき国電なんかうんこだと言っていたのは忘れよう)
手回しブレーキのある運転台、工夫のない平面グラス三枚の正面。
むかしは電車にクーラーなんてものはどこにもなかった。この網目のあらい見上げる扇風機、まんなかのJNRマーク、なにもかも懐かしい。
(そのうち、103系に3両だけクーラーが着いてる編成が登場したりして、国鉄は徐々にクーラーが設置されていったが、地下鉄は当時「原理的に地下鉄車両にクーラーを付けることは難しい」と言われ、ずいぶん冷遇(暑遇かな)されたままだったものだ)
ドアのガラス窓は、もっと平面度の低い、むこうが歪んで見える代物だった気がする。
で、当時は、山手線や総武線、中央線クラスだと、ラッシュの乗客の圧力で、しばしばこのガラスが外に向けてパリンと割れたものだ。
そんな割れた扉ガラスに、一時的にはめ込むための専用ベニヤ板というものも各駅のホームに用意してあった。
ベニヤを窓に仮はめした101系とか103系というのは、3週間に2回ぐらいは見かけるレベルの、特にそうめずらしいモノではなかった。そんな昭和40年代の都心。
あと個人的にツボにくらったのが、ボンネットの181系「とき」。祖母の家が新潟にあったので、こどものころこれに乗って新潟に行っていた。
小汚い上野駅から乗るわけだが、なぜだかわからないが、おっさんがホームから線路にシャーシャー小便をしているというのが当時の上野駅の標準的な風景だった。ああ上野に来たなあという、とくにマイナスですらないイメージ。
車内の売り子のディスプレイは、プラのお茶に冷凍みかん、あと笹団子という、なかなか完璧な時代考証。
もう説明するのがつかれました…あとはお楽しみください。
しかしここは、こどもを連れてくるとかじゃなくて、その筋の人と同行者を厳選して、平日休みをとってじっくり大人どうしで訪れるのがよい気がした。うん。こんどそうしよう。って俺にそういう友達っていたっけな…
食堂には賄い丼「ハチクマライス」ってのがありました。
あとトレインシミュレータのたぐいは、D51のは整理券が必要だったり(ちなみに向谷実プロデュース)、時間には余裕をみて。
このへんもふくめ、やはりいずれ平日にきたほうがいい。
そんなわけで、終わったのは閉館時間の18:00近く。すっかり空は秋の夕暮れになっていた。
ああ面白かった。
ちなみに子どもたちはずいぶん退屈そうにしていた。気の毒に。ははは、ざまあみろ! (笑)