国電乗客暴動 - 1973

YouTubeから。

うっわー、なつかしい。

1973年は僕は小学校一年生で、6歳。
ちょうど、毎朝東京のラッシュアワーで都心に通学をはじめた年。自宅は毎朝6時50分に出ていた。

当時のラッシュは本気だった。電車のなかで居場所がわるいと本気で骨を折りそうだと三日目でわかった。人権だの個人情報保護だのエコだのクリーンだの、そんな寝ぼけたチキンな時代ではありません。でも知らないおじさんおばさんでもきちんと子供の僕を叱ってくれたよ。

電車もバスも、初乗り大人40円ぐらい。

この動画にあるような、順法闘争とかなんとかペンキで書かれた電車はいっぱい走ってました。
電車の空調は扇風機です。クーラー? ありえない。そのうち、国鉄103系は10両中3両だけクーラー付きとかも登場してきたけど、地下鉄はそのあともずーーっとクーラー無しだった。

超満員の電車の人間の圧力で、電車の窓がパリーンと割れるのは、まあ月に二回ぐらいは見かける出来事だった。なので、駅のホームの柱とか駅員室には、割れた窓に代わりにとりあえずはめこむための木の板が常備されていた。

ホームが身動きできないぐらい混んでいても、みんな普通に煙草はすっていたなあ。国鉄新宿駅とか、ホームから線路を見下ろすと、線路の砂利が割と吸い殻で覆い尽くされて茶色で、ホーム全体からは煙がたちのぼっていた。

地下鉄も国鉄も、視界にはかならず入る頻度で痰壷が常備してあった。車内で痰を吐くおっさんやじいさんは、まあときたまいたねえ。
成人映画の映画館は、みどりの窓口がある駅ぐらいであればだいたいあったし、駅にもポスターがあったりして、男の子としては、まだよくわからないが、どきどき。

学校から帰るのは、大都会東京をとおりぬけること。
いつもの電車、いろんな電車。しらないひとたち、知ってる道路、しらない道路。バス。車。街道。盛り場。
笑い・享楽・幸福・不幸。善・悪。色・デザイン、ゴミ汚れ不潔。不安と、どきどき。

ああ。昭和のころ、こどものころ、トウキョウ、なつかしい。大好き大好き大好き。
一生、花鳥風月の心境には至れそうにもない。