昭和時代の自動車のカタログ

家の掃除をしていたら、古文書の金脈がでてきて、やばい。
なかなかクルマずきだった父が中心に集めていたカタログ類だ。

405MI16!
309GTI!
505!
たまんねえ。
「プジョー猫足」とかわかったようなことを言うみなさんは、この前で1時間正座だ。

504!
現行508で「おでこの車名番号」が復活したのは同慶のいたりだ。

スパイダー・ヴェローチェ
ジュリエッタ
スプリント
フェッタ
たまんねえな……

そしてきちんとオチもある。
「名車には名車の防錆処理。」

初代5 !
9 !

大学に入り免許とり、車ってどんなの… と初めて父に連れ回されたときは、4や、イラン製の初代5, シトロエン・ヴィザGTなど見せられ、ずいぶん面食らった。
結局その後ルノー・シュペール5を選ぶことになり、それから、僕の人生と頭の中の配分の20%〜60%はフランス車になる。

それまでの僕は、クルマ、うーん、トヨタかな? ソアラってかっこいいな、という普通の青年だった。
でも後日、幼稚園のときのらくがき帳に、ほとんど読めない字と、ほとんど判別できない絵で、自分で描いた「アルピーヌA110」のクレヨンお絵かきがあるのを発見したので、幼時から何かしらのクルマオタク・インプリンティングがなされていたのかもしれない。

フエゴとか、たまんねーな……
DS, SM, GS, CXを手がけたロベール・オプロンがシトロエンからルノーに移籍後の初作品。

このころのルノーはインポーターがまだキャピタル。
4枚めのはジャクスになってから。

初代124に、X 1/9
ベルトーネ・カブリオというのは知らなかった。Ritmoベースらしい。

Y10 (イプシロン・テン)

なぜか1週間ほど乗っていたことがあって、
案外しっかりしたボディー
アルカンタラの内装
イタ車お約束の形容「蜜壺を引っ掻き回すような」いったい何速に入ってんのか不明なぐにゃぐにゃシフト
同じくお約束の「イタリアの手長猿」の遠めのステアリング
室内のむせかえるようなあのイタ車の甘い匂い
堪能した。

ミツワ発見
当時924あたり狙ってたのかしら。
総合カタログがなぜフランス語なのかは不明。

残念ながらpintoもどきばっかりだった70年代のフォード
かつunsafe at any speed (c) ラルフ・ネーダー

でもPintoとMustang II Ghiaは家の車だったので懐かしい。
内装も真っ赤だったり真っ青だったりしたが、
まれに小学校に送ってもらったとき、父のアクセルV8ひとふかしで、飯田橋から九段の坂の上まで、即座に着いていたのは衝撃だった。

80年代ごろまでのアウディって、「田舎の教頭先生」か「市役所の課長さん」が乗るクルマ、というイメージ。
マジメなんだけど、洒脱やかっこよさとは無縁。事務機器みたいな道具。
家のクルマのチョイスとしては「えっ、ええぇぇ…… ないわ……」だった。

90年代にバブルに入り、六本木カローラや赤坂サニーの190Eや320iに混じり、赤い80も都内を賑わしはじめると「ちょっ、おまw」で面白かった。急に高校デビューかい、ちょっとかゆいぜ的な。

しだいに、カタログにフェリーニだのショコラだの、一杯引っ掛けてからでないと恥ずかしくて見れないようなワーディングの営業努力がみえてくる。

でもやっぱクアトロクーペは武骨でかっこいいや。
電気機関車みたい。
このころは、ヒラメのセリカもシトロエンBXも、ルノー21も日産パルサーEXAも鉄仮面スカイラインDR30も、みんな四角かったなー。

でもってピエヒが若い!! やばいwww

さらにSA22C !!
ブルーのMAZDAディーラーの看板も実に懐かしい。

Z30
かっこいい……
僕が幼稚園のころ、家のクルマが2台続けてZ30だった。

Z130は…
どうでもいいや (ごめん)

時を経て、Z32
このころになると、私も成人して自動車免許を持っており、父もまだ現役で、一緒に日産のディーラーに見に行った気がする。

ジャパンターボ
桜井真一郎先生にも、もちろん2ページ使っている
プリンス店扱いのトラックなどにも触れてるのが極めてイイ。

当時わたしは小〜中学生。家の車もジャパンターボから鉄仮面だったのだが、R30のカタログは見当たらず。

R32

僕も大学に入り免許取ったばかりで、青梅街道を走っていたら、いまは亡き村山工場の正門から発表直後のR32 GTSクーペが数台、陣形を組んで出てきたのに偶然でくわし、えらく感動した記憶がある。

SOHCなCA18搭載グレードあったのとか知ってますかね…

自分の記憶にある最古の家の車は、赤ん坊のころの初代カローラKE10はさすがに覚えていなくて、僕が3歳ぐらいのときの初代セリカST10なのですが、その後もセリカ系は追っていたらしい。
6発がXXに枝分かれしたときのセリカXX
ご存じのとおり、USではこのときから既にSupra

同時期の4発セリカ

その次の60系。
カタログにチャプマン先生でまくり。 ある意味元祖「ハンドリング・バイ・ロータス」

いちばん下にあったのはユーノス一式。
とくにERのカタログは、新品とまごうばかりのコンディションで、なにか然るべきところに奉納したい感じ。