http://www.araki.net/notes/200205c.html#200205314

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うーむ、他人が球を蹴ったり投げたり走ったり、というサマに他人が興味を持つ、というのが根本的にわからないのです。

まったく興味がないとまではいわないけれど、それは、目のまえにちょうちょが飛んでいておもしろいなぁ、とか、あの雲は鳥みたいなかたちで愉快だな、程度におもしろいわけで、それをみるためにわざわざ手を動かしてリモコンを操作してテレビのスイッチを入れる、というような手間と負担をかける、というのはちょっと発想がでてこない。

なので、それを撮影したり放映したり取材したり印刷したり、それをまた販売したり、のフェーズまでいくと、正直いうとわたしの想像をはるかにこえていて、たいへん不思議なかんじだ。

小学校低学年のころまでは、たとえば油絵に興味がある子もいるし、音楽に興味がある子もいるし、切手集めや、釣りや、旅行が好きなひともいる、でそのバリエーションとしてスポーツを見るのが好きなひとも中にはいるんだろう、という位置づけが自分のなかではあって、

それが、油絵が好きな子も音楽が好きな子も切手集めが好きな子も釣りが好きな子も旅行が好きな子もみんなスポーツに興味があるんだ、ということに気づいたときはたいへんなショックを受けた。

自分のまわりで、戦時中の軍国主義の亡霊がざっざっざっと行進している、まさにそのイメージ。
自分は、自分ひとりだけ。
ぼくの人格形成にかなーりの影響があったとおもう。

それからは、そういったことに関しては、わたしのまわりで、ふしぎな白日夢がごうごう渦まいているかんじ。これは、34になったいまでも基本的にかわらない.

これらは今では、自分もふくめてそういう違いというものは観察してオモシロイもの、という位置づけなので、おもしろい。

喫煙、クルマ、酒、サッカー、それぞれ、各個人の好み、作用や副作用、それで得られる快楽とそれで得られる迷惑のトレードオフで社会がなりたっているので、べつにかまわない。

また、人がせっかく面白がっているものに意味なくケチつけるのもアホとしかいいようがないので、みんながんばれ! 盛りあがってくれ!とエールを送る以外の気持ちはない。

ただ、たとえば秋葉原が全面禁煙というのが通るのなら、サッカーの話やそれにかかわる行動あらゆる非合法規制で刑罰の対象になるサッカー・フリーでクリーンなところぐらい作ってくれないと不公平だろう。

しかし、どいつもこいつもサッカー、というのは、どいつもこいつもルーズソックスかいとか、どいつもこいつもモーニング娘でアレでソレでコレかい!みたいなイタサを感じるんだけど、やっぱりスポーツに関することは、それとは違うんだろうな、きっと...

さて、では、少林サッカーを見にいこうかな (おいおい