YAPC::Asia Tokyo 2015おつかれさまでした

2015/8/21〜23はYAPC::Asia Tokyo 2015でした。ついに東京ビッグサイトで開催。

カンファレンス内容はみなさんの豊富なブログ記事があるのでそちらにお任せして。

僕とYAPC

最初にYAPC::Asia Tokyoにお邪魔したのは初回か2回め。

2008年にミクシィに転職し、スポンサー企業としても再びYAPC::Asia Tokyoに参加するようになり、そして2011年からJPA (Japan Perl Association)に津久井さんを引き継ぐ形で理事として参加して、運営や経理として実施側にも携わるようになりました。

今年は準備日のノベルティ袋詰めお手伝いぐらい。

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今年のミクシィのステッカーのデザインは僕です。えふしんさんのブログ

この中でインパクトがあったのは、何が書いてあるのか僕にはわからないmixi社と

とあったのはズバリ狙いどおりの着地で嬉しいです。
というか、このワーディングとフォント自体に元ネタがあります。この手のデザインに関して騒がしい昨今ですが、これはちゃんとpublic domainになってるやーつです。

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前夜祭を待つ受付。

わーい、YYCののぼりもある!
YYCはいまはミクシィ・グループの仲間ですが、Sledgeの血脈をもつPerlな会社やで!

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ふりかえり

自分でも公私ともにイベントを企画したり実施したりする立場からみて、YAPC::Asia Tokyoの良かったところは

会場ネットワーク

今年もconbuの皆さんが強いWiFiを提供してくださった。

技術とノウハウと好奇心の固まりであるconbuの皆さんはまさに「ネットの海兵隊」で、今年もむちゃくちゃかっこよかった。ソフトウェアのコードとハードウェアのケーブルの違いはあれど、一緒に「動くもの」という課題に共同でアタックし、得られた知見をまたフィードバックという意味で今年もまた深い感激のあるものだった。
この「一緒にやる」というスタンスこそがおそらく大事で、相互に体験と学びのメリットがないとダメだと思う。conbuは「タダでWiFi敷設してくれる便利屋さん」ではない。
ノウハウというものはしばしば無形になりがちで、そのアウトプットの著作権・知財的な立ち位置もOSSとは異なるけど、conbuとYAPCの魂は割といい感じのベクトルを指していたのだと思う。
個人的には、見つけてきて紹介したGAFFGUNが大活躍していたのは嬉しかったなー。

ファクトの記録

毎回「ブログを書くまでがYAPCです」と言われていたように、一過性の思い出だけではなく、何をやるのか、何が行われたのかの記憶の固定化に非常に意識が払われている。
そして、毎年プロのカメラマンを契約してオフィシャルな映像記録も残す。これ大変重要。片手間の撮影では、客観性を伴い規模感も記録し、しかも配信に値する品質の画像を残すことはできない。
自分もYAPCを通して、イベントの企画の際の「画としての見ため」「画としての残し」を更に意識するようになった。見ためは大事です。仕事でも、プロジェクトマネージャだったらプロジェクトのロゴやアイコンに気を配ったりするのは案外ボディーブローで大事。Agile Samuraiで紹介されているインセプション・デッキでいう「パッケージデザイン」と同じです。見ためと撮影に意を配らないイベント実施は「ログを取ってないサーバ」と同じく、懈怠であります。

スポンサーに対して魅力ある面白い商品の展開

無限コーヒー, 椅子ポンサー, ウォータースポンサー, 今年は幕間の宣伝。来場者そしてハッカー文化にマッチした、ユニークで求めやすいスポンサーメニューが毎年新たに考えられ、提供されている。これも割と強みなんじゃないかと思っている。
企画側も、同じく採用やよき仲間集めに苦心し、予算について求めるほう、拠出するほう双方の立場がわかる大人たちなのが利している面もあるだろう。

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テーマの絶妙なゆるさ

Perlはglue languageの代表格のひとつ。なのでPerlにまつわる技術的事象やトピックは極めて幅広い。YAPCはそれをそのままフォーカスとして「PerlにこだわらないPerlのカンファレンス」というイベントであることを割と明快に示し、そして場を提供していたと思う。今回YAPC::Asia Tokyo 2015の「Perlに関係ない話の多さ」が、その懐の広さを物語っていた。
YAPCはYet Another Perl Conferenceではなく、「やっぷしー」「やぷしー」というひとつの何かになっていた。GCCがGNU C CompilerからGNU Compiler Collectionになり「Cコンパイラ」ではなくなっていたように。

アンプの話

ついでに

は、僕。

  1. YAPC::Asia Tokyo 2011会場の東工大 大岡山キャンパス大ホールでPAが突如不調に。講演者がいくら喋ってもマイクからスピーカーに音声が出ない。
  2. 対処こころみるが回復せず。学生課から予備機材を借りるすべもなし
  3. 正攻法で復旧処置をお願いしつつ、別解の解決手段も確保せねばと、ふと、ホールの隣にサークル棟のロック研があったの思い出し、演奏練習中のところにどんどんどんすいませーんと突撃
  4. 出てきてくれたお兄さんにすいませんすいませんとワケを話し、急遽使ってないアンプをお借りすることに。手配をしていただきつつ、Dream TheaterのTシャツ着てるお兄さんとJordan Rudessいいっすよねー。やっぱLiquid Tension Experimentもですよねー などと後付けアイスブレイク。

という経緯があり。ただ、PAそのものは正当手段で結局ぎりぎり稼働が間に合ったので、アンプは結局舞台脇に控えたままで、後でお礼とともに返しに行っておしまいでした。

あのホールは、他にも

  • 事前情報ではプロジェクターが設置されてないらしいぞ
  • 大岡山キャンパスへトラックで富山県から大型プロジェクターをレンタル
  • なんだよ現地にプロジェクター設置されてんじゃん…
  • 開演前のリハにて、どうしても会場のプロジェクターが稼働しない
  • 結局、大型プロジェクターfrom富山をやっぱり急遽客席に設置し無事開場

というドラマもあり、思い出深いです*1

ともあれ、YAPC::Asia TokyoやJPAを通して、牧さんや941さんはじめ「コトを進める漢たち」に接し、お手伝いをし、いろいろ学ぶことでいっぱいでした。写真は、最終日2015/8/22の来場者撤収後に記念写真を撮っているスタッフみなさんの様子、を更に後ろから撮影、Larry Wallナメの構図で、です。

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改めてありがとうございました、おつかれさまでした。

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*1:4年後に息子さんが東工大に入り、入学式中継を見たのもこの大ホールです。