担当の先生は、いいことも悪いこともきちんと伝えてくれるので、信頼がおける。
先生がよくおっしゃるのが「暮しの質」といういいかたで、つまり、なにがなんでも切って直して切って直して、そのあげく本人やまわりの痛みや苦しみが増しても意味はない。快適な生活と延命のバランスが重要。ということで、全員同感。
秋津療育園の園児には、園児とはいってももう50台のやつもいて、癌患者もいたり。で、重度心身障害者相手だと手術も雑だったり、何よりも患者が喋ったりものを伝えたりすることができないので、のたうちまわるような苦痛 (と思われる状態) を縛って放置しておいたり、
で、こういうのは、本人の希望とあわせればペインクリニックというか、究極的には安楽死方面に持っていったほうがあらゆる良いと思われるのだが、何より本人は物を言えない喋れない、
保護者のほうも、ただでさえ末端医療というセンシティブな話題なのに、患者が障害児ということで、さらに色が重くついてしまって建設的な話し合いというものにまったくならない、
そもそも上は保護者がもしいれば、コンタクトがとれればの話であって、天涯孤独、ないしは社会的に放置プレイの園児に対して、勝手に末端治療方向に持っていくわけにもいかない(偏向してとらえれば「殺人」になるので)。
父としては、理事長みずからが末端治療への己のシフトを決断して、先例をつくりたい。という思いもあるようだ。
ただね、理事長対陣してからは、こうなんでもサクサク決めてすすめていたことについてけなかった人も一定数いるわけで。そういうリバウンドがすごいわけで。というか世の中にはいろんな頭のレベルの人がいるわけで。こう、世の中は会社とかと違って、選抜されたスタッフだけで構成された団体だけではないから、一定レベルの人間だけがいることを期待してサクサク進めても結局バカを見るだけのことが多々あって。
世の中というものにあまり期待しないほうが気楽に過ごせると思われ。
社会だの政治だの、そういったことに1秒以上頭をつかうのは、シナプスの愚かな無駄なノイズであって、そういったことに commit するのは、結局そのへんがわかってない愚者なのだ。よ? > 父