この15年間、5作のボンド役を勤めてきたダニエル・クレイグの最後の007映画。
封切延期から1年半待ってたぜ……
いい画と音で観たかったので、立川のシネマ・ツーに行ってきた。
よかったぁ……
以下ネタバレあり。
最高だったSkyfall系のヒューマンドラマ路線の大結末。
ロジャー・ムーアからピアース・ブロスナンまでの、だらけた「ボンドのお色気アクションスパイ珍道中モノ」を一級のドラマにシュッと一新させたダニエル・クレイグの功績はやっぱり大きい。
ある程度、以前の作品を観てないと話も人物もわかんないかも。
でも、とりあえずはSpectreを観ていれば充分かも。
というかSpectreを観てないとわかんないか。ブロフェルドとボンドが義兄弟だなんて、スター・ウォーズでいえば、ep4から50年経ってからいきなりI am your fatherをぶっこんでくるぐらい反則技ではあるんだから。あと後述するが、できるなら「女王陛下の007」も観ておいてほしい。
ダニエルは21世紀のモダンなボンドの立役者であるが、SkyfallあたりからのDB5の多用はじめ、初代ショーン・コネリーのころの古き良きボンドへのオマージュや回帰は今作でも豊かで、特に今回はニュー007さんも出てくるわけで、黒い彼女がDB11に乗ってるなら、金色の髪の彼は対比としてDB5がさらにぴったりなわけだ。
DB5がぶっこわれてからはV8が出てくるが、機関銃はじめ懐かしのメカ大活躍のDB5に比べ、V8のほうはただのクルマだ。でもこれでいいと思う。クルマからミサイルやレーザー光線を出されても、ティモシー・ダルトン時代の雰囲気が混じってブレてしまう。それよりもマシンガンでスピンターンしまくるDB5のレブカウンターがレッドゾーンでビンビンしているカットのほうが、漢の骨太の描写でセンスがいい。DB5さんはタイトルシーケンスでも扱われていて準主演級だ。
駅での別れにすっと入ってくるタイトルシーケンスも、「ブリット」あたりとの地続きを感じる60年代ふうの小粋なグラフィックで、実にかっこよく、ビリー・アイリッシュの感傷的な歌声とともに深く感動的だ。DNA二重らせんのモチーフは、細菌兵器と、ボンドの青い目の遺伝のダブルミーニングだろう。
おなじく感動的なのが、冒頭でマドレーヌと過ごす夕暮れのイタリアの海辺のドライブで、「女王陛下の007」のWe Have All The Time In The Worldの旋律がながれるところ。
「女王陛下の007」のラストシーンで、ボンドのたった一度の結婚の花嫁トレーシーが結婚式直後に悲劇的に亡くなってしまい、そこでボンドが亡骸にむかっていうセリフがWe Have All The Time In The World、世界の時はすべて僕らのもの、僕らの時間は永遠だ、であり、そのままジョン・バリー作曲、ハル・デヴィッド作詞、歌唱ルイ・アームストロングのムービースコア界の名曲のタイトルと歌詞。
女王陛下…では、トレーシーとの恋愛のはじまりでこの曲がかかり、ラストで亡くなった妻をボンドが看取るラストでも流れる。つまり、恋愛という伏線と、悲劇という回収の、2回にわけてこの甘く美しく切なく悲しい旋律がやってきます。
この構造はNo time to dieでも同様だ。
違いは、本作のラストでは、ボンドが亡妻を看取るのではなく、亡くなったボンドを追憶するマドレーヌという逆構造になっていること。
しかし画としては2回がみごとな対比になっていて、冒頭部では愛する二人がDB5で美しいイタリア海岸を駆け巡るショット、ラストでは残された二人がV8で同じ風景を走るショットと、画と音の素晴らしいリプライスとなっている。
このラストで、サッチモが歌うほうのWe Have All The Time In The Worldがかかってきたら、これはもう、号泣するしかありません。ほんとにやられた。泣けてしまって、帰りに駐車場からなかなか車が出せなくて困った。
今作の冒頭部のほうのシーンで、ボンドはマドレーヌに、僕らの時間はいっぱいある、と言っていた。ちゃんと聞いていなかったが、彼はきちんとオマージュをこめてWe have all the time in the worldと言っていたかもしれない。明日またもう一回観にいかなきゃ。
追記
翌日、池袋のIMAXでもう一回。
やはり導入部とラストの、いちばんいいとこであの台詞でした。
「女王陛下の」は、ボンド役単発に終わったジョージ・レイゼンビーの不評ばかり印象にあり、すかすか美女集団と大根ボンドの組み合わせはパスだわー、といままで未見だったのが惜しまれる。