洗濯機

先週ヤマダ電機で手付け打っておいたのが届いた。とてもコンパクトで静か、なかなかよろしい。以前は洗濯機と乾燥機の組み合わせだったのが、ずいぶんすっきりして空間的にもよろしい。
いままで使っていた洗濯機は同じくナショナルのNA-F55A2というもので、購入したのは結婚する直前、1994年の春ごろ、つまり12年まえ。

買った場所は、まだ電気屋の街だった秋葉原。いつもだと、秋葉原にいるときはVL-BusとかS3 928だとかi486 DX4 100MHzとかAHA-1542CFといったことばかりに頭がいっているので、そこを彼女と一緒に、中央通りのいつもはいかない普通の電気屋のあたりをあるいてみると、「新婚さんフェア」みたいなノボリがそこらじゅうに立っていることにいまさらながら気づいて、なにかかゆい感じがした。

そこで薦められたのがいままで使っていた洗濯機で、僕にとって殺し文句だったのが、「このモデルは新型の鋼板を使っていて、技術的にはとても優れていて、開発陣はがんばったようなんですが、なぜか売り上げ的にはふるいませんでしてねえ…」という販売員のオジサンの説明で、駆け出しのソフトウェアエンジニアだった僕は、エンジニアの正義!それを理解しないマーケティングと民衆!これを救わずしてなんとするのか!というあたりの共感のツボを押されてしまい、いま考えると、型落ちの洗濯機を割高で買わされてしまった。

この洗濯機を選んでしまったことについては、同じ日に買った電話機の失敗(弱小メーカーだが意欲的な設計だったもの。しかしやっぱり使いづらくて壊れた)もあわせて、「技術的にイイ、とか言われると弱いんだから」といまだに奥さんに言われるし、僕自身も、これらの経験を通して、技術的に良いとかだけですぐシンパシーが燃えたり釣られたりするニキビ顔の技術者クンから、ちょっと大人になれた気がする。技術的にいいか悪いかなんてのは、ものごとのほんの一面にすぎない。