禁煙ファシズムと戦う / 小谷野 敦, 斎藤 貴男, 栗原 裕一郎

ちょっと話題になっていたようなので釣られてちょっと読んでみた。

3人の論文というかをあつめたもの。

もともと、炎上中のブログを面白がって見にいく見物客みたいな気分で手を出したので、で、まさにそういう面白さを満点に味わえた。

ひとつめのものは、まぁわかるけどねえ〜という、ちょっとヒステリック直前ぐらいのキーキー風味な主張で、いいたいことは分からんではないが、なんぼなんでもそこら中でガラムを喫われたらちょっとたまらんでしょ(ガラムは、いわゆるニコチンとかタバコくささとは別種の香り・嗜好物なので、一般にタバコがだめなひとでも、ちょっと試してみるといいだろう)とか、あと私には決定的だったのが、煙草の害を言うんだったらクルマのほうがもっと人を殺してるでしょ、自動車会社は殺人会社だーみたいな主張で、あーこりゃダメだ。

煙草もクルマも、人や社会や環境に迷惑をかけつつ、あーでもいいねえ楽しいねえこりゃやめられんという大人の嗜好物であり、個人の快楽は他者への迷惑ゼロにはありえないという自己批判もともなったメタな視点がまずあって、そこからオトナ社会のお互い様とか紳士とかいったもののうえに論じないとだめなのに、これは痛い。

「私は子供のころクルマにはねられて怪我をしたことがあって…クルマ社会が憎い」みたいな主張と、煙草をもって歩いたからといってどれほど他人にやけどをさせる危険があるというのかという主張を同一稿でおこなっているのは、これって釣りクォリティですよね?

2つめの著者は、ご自身は喫煙はせず、むしろ嫌煙家であって、しかしいまの嫌煙ファシズムはおかしいという冷静かつ興味深い主張をなされていて、すばらしそうなのだが、まだ読みかけであることをわすれて図書館に本を返してしまった。

なんつーか、こんなことをどうのこうのと人生の時間をつかって論じている人々は、だから煙草もすわないし、なんというか人生の価値観というか、煙草の味もわからないんだろうな、と無茶苦茶偏見なことをいってみる。(ワラ