私鉄廃線25年 / 寺田 裕一

母の実家のあった新潟県村松町の、蒲原鉄道がまずじーんとくる。小学生のころ「おばあちゃんちの隣の電車」に、カメラを持って、テープレコーダーを持って、何度も何度もよく乗ったからだ。冬鳥越のちっぽけなスキー場、木にエナメルと筆で書かれた看板だの路線図値段表だの、陳腐ないいかただが、目を閉じるとすべての駅が脳裏によみがえってくる感じだ。廃止の日には、こいつら4両編成なんかで走っていたのか。無理しやがって。

西武遊園地のちかくの西武山口線も、当時はSLとか蓄電池機関車が走っていたのも今では知らない人もおおいのだろうか。

面白かったのは紀州鉄道で、まず、今では廃止となった区間の、すでに運営されていた当時からの荒れ具合がものすごい。

で、その赤字で瀕死の当時の御坊臨港鉄道を買い取ったのが、リゾート関係を展開する東京の不動産会社で、買収後さらに社名を母体含め紀州鉄道と変更。鉄道事業そのものは全職員5名という小さい一部門でしかないが、これにより同社グループは鉄道会社というネームブランドを得て、ホテル経営などにさらに力をつけていくことになる。エッヂ (オン・ザ・エッヂ) がライブドアに変貌したときのようなM&Aであって、とてもおもしろい。堀江さんがもし鉄であったら、我々はいま紀州鉄道ギガメールとか紀州鉄道ぽすれんといったものを見ているのだろうか。

この「東京の不動産会社」も、40年ちかく昔に廃線になった東北のディーゼル軽便鉄道 (名前は磐梯急行電鉄なのだが) の残党が復活起業したものらしく、そういった因縁話もまたおもしろい。
ja.wikipedia.org/wiki/紀州鉄道

他にも旅客部門の年間総売上が1000万に届かなかった私鉄だの、人員削減を繰り返し、最後は一両のレールバスと一人の運転手だけでやっていた有田鉄道(日曜祝日は鉄道そのものがお休み)だの、零細系はおもしろいなぁ。