Ford Mustang 2005 model

pya!を見ていて気がついたというのがアレすぎるが、Ford Mustangがフルモデルチェンジしていたようだ。

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まいった。初代とか二代目のイコンを卑怯なほど上手に体現していて、商品としてこんなに憎いものはない。仕上げにはヨーロピアンなセンスも感じられるが、全体から受ける印象とオーラが、心臓がばくばくするほど、ムスタングそのものだ。

見てくださいよこのケツ。このテールランプ。中央の円いエンブレム。かなりMustang感がある。なんとも胸がときめいて痛い。

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最近のFordは、Ford GT40のレプリカ?のFord GTをみてもわかるように、昔のイコン商品がなかなかうまい。十数年前、あわやMustangの中身が日本製になりかけた*1ころと比べると、商品企画がいい感じになってきている。マーク・ニューソンのデザイン・コンセプト・カーFord 021Cなんかもイイですよね。Marc Newsonつーと、俺的にはau の Talbyなんかよりもコレ。

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なぜムスタングにこんなにどきどきするのかというと、小学校1年のころ父がMustang IIのGhia仕様に乗っていて、幼い僕にはそれが誇らしく憧れの父親のイメージそのものだったからだ。

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5リッターV8のパワーは圧倒的だった。ごくたまに、麹町の会社に向かう父に小学校まで送っていってもらうことがあったが、飯田橋の河岸*2から富士見坂を越えて九段まで、あるいは神楽坂の急勾配のてっぺんまで、アクセルひと踏みでまさに瞬間移動するがごとき加速力のことは、小学校時代の数少ない思い出のひとつだ。

父が死んだのはほぼ1年前で、葬式をすませてしまうと、はて自分には父親なんていたっけか? ということすら完全に頭から消滅していたが、新型Mustangのエンブレムを見ていたらそんなことを思い出し、変な話だが、父が死んだということが妙に実感を伴って感じられてきた。


*1:マツダ・カペラのシャーシから派生させた「フォード・プローブ」という中途半端な煮え切らない中型クーペがあったが、本来これは当時の新型ムスタングとして用意されていた車種だった。この話はUSの関係者や自動車ファンから「我々は『マツダング』はいらない」と強硬な抗議を受けて見送られ、広島製ムスタングは歴史に浮かび上がることはなかった。
*2:現在JR飯田橋駅沿いにLAMRAなど住居商業ビルが建ち並んでいるエリアは、昭和50年ごろまでお堀を活かした貯木場で、水面に丸太が果てしなく浮かんでいた。法被姿の木遣の兄ちゃんがその水面を、鳶口にぎってくるくると丸太乗りする江戸の粋な風物は、小学一年の僕にはとても楽しみだった。