シン・ゴジラ - エリートとしての新幹線から民衆カタルシスとしての在来線

観た。7/31に普通の映画館で観て、そのあと立川の極上爆音でも観た。

大変に、おもしろかった。

 

のっけから東宝のきらきら画面が、現行のものと、クラシックなものと、確か2種類が立て続けに出て、否応なく盛り上がる。
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その直後、画面全面水色背景で
東 宝 映 画 作 品
と大写し。これから素晴らしいものが始まるに違いないという予感が、確信となる。

タイトルと、映倫マーク。カット割が早い。さらに期待が高まる。
主題歌とか何もなく始まる。余計なものは要らない。とてもイイ。

遭難しているプレジャーボート。ドキュメンタリー風の進行、イイ。
プレジャーボートの船名がグローリー丸。「あっ、これ、何かのアレだったよな…」と識閾下で何かがうごめくものの、その時は分からなかった。後で思いついて調べてみると、最初のゴジラ映画で冒頭で被害にあう船の名前が栄光丸だった。

 

東京湾のトンネル事故。このときはまだみんなフツー。余裕。「わーい滑り台だー」というセリフがすごく自然。ニコ動の弾幕とかも自然。東京湾にあがる水しぶきをスマホで撮るみんなも自然。

蒲田にやってくるやつ。大変気持ち悪い。一瞬、えっこれは何か違うやつでは、とも思った。目がどっかいっちゃってる。エラから血反吐みたいなのがどぼどぼ垂れる。気持ち悪い。前脚もまだほとんどない。嫌悪感の塊。でもそのかわり、これは「みんなのトモダチ ゴジラ!」みたいな甘っちょろい意味のわからない寝言映画ではないことがはっきりして、更に映画に入り込める。

 

逃げ惑う人のシーンには明らかに3/11のモチーフもあるが、だからといってこの映画が311な問題提起とか批判だとか言ったら台無しでとても頭が悪い。3/11は日本と日本人の「引き出し」にある大きなものであり、そこから蒸留物が出てきたなら、映画に加えれば力強いエッセンスともなろうし、観客はそれを恐れ、味わえば良い。9条うんぬんも同じこと。

 

この映画はポリティカル・フィクション? それもあるけど、むしろ政治も含めた現場ドキュメンタリー・アクション。圧倒的な現場感。議論して、決めて(最初はなかなか決まらないけど)、進めていく。こういうの大好き。恋愛とか親子の悲劇とかそういうの一切なし。いさぎよい。この映画ではこれ大正解。
パソコンや事務機器のリアル感も半端ない。機種選定や資産番号的なテプラといい。会議室が設定されオフィス機器が搬入され並べられていく、ここにこれだけの高揚感を醸し出せる映画があっただろうか。誰かのツイートに、ハリウッド映画なら米軍精鋭部隊が銃装備を取りマガジンをシャカシャカとセットしていく高揚感の日本版がこれだ、とあったけれど、全く同感。同じく誰かのツイートに「会議版マッドマックス」とあった。うむ。あと、環境省の課長代理の人が可愛い。ツボを直球でやられる。

いつもはやられ役が多い自衛隊の活躍も大変満足。結局ゴジラをやっつけることはできなかったけど、現場伝達、エスカレーション、攻撃ヘリと弾着観測ヘリ。10式の超信地旋回のかっこよさには座り小便しそうになる。

中盤、夜の東京を焼きつくすゴジラ。最初はでろでろと炎を吐き、最後に高密度熱線へと変化する。まるで吐瀉物のような「炎の排泄」から始まるので、そのあとの、万物を溶かし焼きつくす熱線の恐ろしさと美しさが余計に際立つ。つんざく高音の音効もたいへん素晴らしい。もうやめて、もうやめて、もうやめてくれ! という思いでいっぱいになる。舞台が東京であるし、すべてが見たことある風景であり、僕のふるさとでもあるので、臨場感と恐ろしさがさらに際立つ。

石原さとみ演じる米国特使は、濃い属性をもつ「異物」であり、難しい役だろう。が、ぎりぎり「これはない」の手前あたりで収め、外連味も備えた映画のスパイスとして頑張っている。この人物の役どころが脚本においてベストかどうかはわからないが、この女優さんは腹をくくって全力で演技にあたっている。役者根性を感じる。

 

映画の前半は、首都東京の営みや政府の運営といった現実に巨大生物という不条理が襲いかかるという構成であり、ドキュメンタリー感が強い。が、焼きつくされた東京の夜からあとの後半は、この圧倒的な不条理のほうが現実の座を占め、それに対してどう立ち向かうかというプロジェクト、つまり人間たちの戦いが主たる構図になる。つまり、後半からは観るものの心理がアクション映画になり、ひいては怪獣映画に切り替わる。
なので、大量の米空軍無人機や、国を挙げての増産体制、そしてあの素晴らしい「のりもの攻撃」が「気づいたらカイジュウ映画を見ている僕たち」の気持ちにピタリと乗り、「しょうがねえな」とニヤつく気持ちもありつつも、感情移入できるのである。

特に終盤の「のりもの」は、絶対に新幹線のほうが先でなくてはならない。
新幹線は鉄道のエリートであり、特権階級であり、軍隊で言えば士官学校を出た制服組である。まず彼らが「えっ、のりもの?」という驚きを、なめらかなN700系の流線型と、ホワイトのボディから来るスマートさを伴って与える。ただしまだここでは致命傷には至らない。
そののちに、見慣れた、見た目も冴えない、泥臭い、四角い、四方八方から集まった、東京を支える民衆の怨念や衝動が凝縮された通勤型電車たちの集中攻撃が訪れ、遂に致命傷への圧倒的な手がかりを大きく刻みつけるのである。一般階級の、軍隊で言えば民衆たちから成る無名の歩兵たちの、そして悲劇の熱線の夜に東京の街やビルや灯火の途絶えた地下鉄で焼け死んでいった数百万の東京人たちへの思いが、カイジュウエイガという造り物に素直に乗ったかたちで、無人在来線爆弾という濁音だらけの屈指のパワーワードとともに、大きなカタルシスとして迸るのである。

 

庵野監督がゴジラをやるらしいと聞いて、ひょっとしたら凄くいいものを観れるんじゃないかと思い、そして予想を超える凄いものを観れた。数日間は頭のなかが無人在来線爆弾という漢字に占領され、あまり仕事になりませんでした。

 

不満点はいくつかないことはない。

いわゆるエヴァンゲリオンの劇伴 (Decisive Battle?) が多用されていたのは、少し「うっ」ときた。エヴァンゲリオンは実に素晴らしいものだと思うが、アニメアレルギー出身の僕としては、アニメアニメした部分はいまでも苦手だ。「この大空に〜」でもう無理と劇場から退場したこともある。(同様に「機動警察パトレイバー 2 the Movie」も素晴らしい作品だと思うが、終盤にアニメっぽい慣れ合いが始まると無理) ちなみにエヴァンゲリオンを平常心で鑑賞できるようになるまで僕は十数年かかっている。

後半、米軍の無人機や電車類、トラック類のCGの質が落ちる。
が、映画の前半は、虚構の不条理に襲われる現実ドキュメンタリーなのに対し、後半は、もはや現実となった虚構不条理の上に載ったアクションムービーであり、つまり世界観がカイジュウエイガに切り替わっている。ゆえに、特撮っぽさも味として馴染んでいるともいえる。ひょっとすると、分かっていてわざとやっているのかもしれない。

 

そんなわけで、これを映画館でやっているうちに観ないのはもったいないです。同行した奥さんすら「映画館でもう一回観てもいいかも」と言ってました。

あと、コンクリートポンプ車で遊びたいです。