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プリンス自動車の光芒 / 桂木 洋二

エンジニアのはしくれとして、やっぱり技術の良心系のお話が好きなので(またかよ)、真面目に個性をもってがんばったメーカーのお話はいいですね。だいたい知ってる話ばかりだけど。

中島飛行機からプリンスセダン、初代スカイライン、グロリア、R380、日産との合併と、もう目をつぶっていてもわかる展開ですが、真面目に書かれています。まさにグランプリ出版の標準クォリティです。

僕は別にプリンスファンとかスカイラインファンというのではないですが、免許取って運転するようになって大学にマイカーで通っていたころがR31からR32への世代交替のあたりだったので、同時代を過ごした懐かしさはかなりあります。

とにかくボディもコンソールも何もかも四角くて、そのぶん見切りがよくて運転しやすくて、ふひゅ〜〜というこれ見よがしなターボ音がこっぱずかしかった R31,そんな「ローレルと何が違うんだ」なオッサンぽさから一気に締まった体つきになってサーフィンラインも復活した R32.
小金井のほうの大学に通っていたので、青梅街道をクルマで通ることもしばしばありましたが、そんなある日、R32発表の翌日ぐらい、村山方面から、まさに工場を出たばかりと思われる納品シートをつけたままのピカピカのR32の一団がしずしずと威風堂々と都心方向を目指して進んでいくのに出会い、感激して道をあけて、愛車ルノー5でくっついていったのは昨日のように思われます。

そのあとBNR32GT-R復活とかもありました。ただその前のR31のころのGTS-Rというのも、エンブレムがステッカーだとか、どうにも格好が野暮ったくて切なくてかっこいい(Mig25あたりのソ連軍用機と似た魅力がある)懐かしさがありますし、もっと遡れば、叔父が乗っていたGC10(ハコスカ)、父が乗っていたジャパンのGTターボやDR30 (鉄仮面のニューマン・スカイラインRS)なども思い出されます。そういえば当時は日産陸送で、日産修理工場と日産ディーラーの間でお客さんのクルマを運転して運ぶバイトもちょっとやってました。古き良き時代、いろいろ驚くこともありましたが、とてもここには書けません ^^;

そんな村山工場もいまは亡く、ダイヤモンドシティとかスカイラインGT-R発祥の地の碑とかが建っちゃってるわけですが。荻窪の工場跡も原っぱになりました。

さびしいっちゃ寂しいですが、そうやってカルロス・ゴーンがガツンと再構築をしてくれなかったらそもそもいま日産があるかどうかわからないわけで。
というか、その後そんなわけで日産とルノーがエンジンやプラットフォームを共通化することになるとか、両社のCEOが同一人物になるとか、20年前の青梅街道で、ルノーでR32を追っかけていった僕には想像もつきませんでした。