芸人 その世界 / 永 六輔

おおむかし高校生のころ、古本屋の100円棚で買って読んで、割と最近買い直した一冊。「あとがき」が、2005年付けの新しいもので追記されている。内容も微妙に更新されているところがある。

芸人の世界の、伝え書きや逸話といったフラグメントをいっぱい収録した本。そこから、「面白うて、やがて悲しき」その世界がひたひたと伝わってくるところがとてもよい、一種のドキュメンタリー。

キレイゴトではない、芸というものの卑しさと分泌性を少しずつ浮き彫りにしていっているのも、この本のセンスのよいところだ。日本神話のウズメノミコトのころから、海彦・山彦のむかしから、「芸能」、つまり「芸」、つまりパフォーマンスとは、社会の下、最下層に権力と民衆によって位置づけられてきた。

いまさらそれをどうこういってもある意味しかたはない。「芸」をみていただく、というのは、自分を切り売りしているわけで、つまり相手はお客様であって、その下にくだるのは仕方が無い。

この「自分の芸を切り売り」というのは大事なファクターで、たとえば普通にサラリーマンをやっていてさえそうである。ただサラリーマンといった生活方法は非常に一般的なので、さほどはその「はずかしさ」が見えない。あるいは皆必死ではずかしさを覆っている。

そうではなく、自分の文や詩や歌や曲を、人様に買っていただいて、お金をいただくということになると、生身の自分の感性や分泌物とひきかえに人様からお金をいただくという、切り売り感が非常にあからさまなので、はずかしい。ただしその「はずかしさ」を乗り越えないと何もはじまらない。あるいは、恥ずかしさを乗り越えられないなら、それはそれで心の引き出しのなかに貯めていき、そこからまた別の芸の面白さが出るなら、それはそれで良いと思う。

「趣味で音楽をやって、学園祭でうけました」というところから次のステップにいくには、ここを通らないとならない。自主制作のテープやレコードをレコード屋に自分で卸し、集金してまわって、受け取り伝票の書き方ひとつ、レジのバイトの兄ちゃんに蔑まれながら教えてもらう、この「河原乞食」の状態、僕は「河原者」なんだという意識、ここを通過したり、ここが出発点になっていないと、やっぱりどうも人と本気で音楽とかそういう話をするスイッチは入らないもので、こういう感覚を共有できる仲間・友人はそうはいないものだ。

「河原乞食」ということばは、俗にいう「差別用語」にカテゴライズされているようだが、差別用語という定義自体がナンセンス、というのはさておき、芸の世界は差別の世界そのものでもあるということと、そこをクールかつ興味深く観察する姿勢が、永六輔の真骨頂のひとつでもあると思う。同氏はダークサイドも含めて文化を見つめる観察者・報告者であって、単にニコニコしたアメの宣伝のおじさんではありませんよ。

あとがきから:

「逆差別」という言葉があって、行政が主催した差別問題の集会に行くと、主催者から「天皇制に触れないでください」とよく言われます。しかし、天皇も同じことで、差別されている側として捉えた方がよい。天皇制があるから人々が差別されているんじゃなくて、天皇の側も国民から差別されているという捉え方のほうが、ストンと落ちるんですよ。

芸能史に興味があったり、人文学的にこのへんにピンとくるかたには、相当おすすめの一冊。

ちなみに、最近おっと思った「芸人」のみなさん:
リアルタイム砂絵のおねえさん
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