Playing the Angel / Depeche Mode

デペとはかれこれ24年のつきあいだ。でもここ十数年のものはあまりピンとこないものが多く、このアルバムも出てすぐには買ってなかった。90年代以降のデペをみると、ひたすら素晴らしかったViolatorを出したあとは、これもなかなかの傑作Ultraはあるものの (ティム・シメノンのプロデュースにも助けられたところが大きいと思う)、Songs of Faith and DevotionとかExciterといった愚作が並んでいたからだ。特に Songs of Faith and Devotion 以降は、ついに楽器としてギターを大きくフィーチャーするという愚挙に出て、これまでの彼らの孤高な意思、独自アーキテクチャは喪われてしまった。

ギターは表現力豊かな楽器だ。バカでもアホでも、ギターをジャンジャカやっていればそれなりに音楽になってしまう。そこをあえて避けて、ヴォーカル以外は全員キーボードという、「Vo, Gt, Bs, Dr.」式のステレオタイプから距離を置いた立ち位置で、いかにロックを、アートを、文学を表現できるかの R&D 的勝負と探求を行う集団として常にレスペクトし、単なる「好きなバンド」とかではない、自分の生活のなかで特別な位置にいつも置いていた Depeche Mode だったのだが。

ジャケットをみても、この Playing the Angel は Songs of Faith and Devotion テイストというか、Exciter 臭が感じられ、いまいちすぐ手がでない原因となっていた。先行シングル Precious のビデオを見ても、これは Enjoy the Silence の別テイクですか?スランプに陥ったがごとくのマーティンの作曲、やる気のないつならない CG、どうも食指が動かない。

購入して一回聴いた時点では、案の定予想通り、これは駄作だ、愚作だとおもった。本棚へ、さようなら。 

Playing the Angel

Playing the Angel

 

だが、これは「スルメ」だった。思い直して2回目に聴いてみて、3回目、4回目、これはじわじわと俄然よくなってきた。プロデューサーは知らない人だが、デイヴ・バスコムのように質感あり詰まった音に仕上げている。Blur とか手がけた人らしい。もちろん曲想は全部暗い。もろに Martin L. Gore 節の A Pain That I'm Used To,3コードぎみな John the Revelator,そしてこれは驚いたことに Martin ではなくて Dave Gahan 一味のほうの曲なのだが、かなりマーティン風味も感じられ、さらに(ちくしょう)ギターのリフが印象的で魅力的なSuffer Well,

40代に突入した Martin が朗々と歌い上げる、典型的なデペ黒コード進行の Macro.
シングルカットの Precious も、Martin が二人の娘さんをかかえたまま離婚調停中という背景も頭におくと、歌詞のせつなさもなかなか沁みる。楽曲そのものは、手抜きというか Enjoy the Silence 焼き直しというか、いかにもシングルカット向きの仕様につくっておいたヨ、というけれん味がいまだに好きではないけれど。
あとはまってしまったのが Lilian. 貧乏男が金持ち娘にもてあそばれたヨー、というイジイジした暗い曲で、まるで恨み演歌のよう、これがはまると妙に心地よい。

結局 Suffer Well, Macro, Lilian は毎日複数回は必ず聴いており、つまりこれは愛聴盤になった。つまり買ってよかった。マーティンの曲はむかしは作曲技法的にも一曲一曲に新たな発見があり、それがここ十数年は手法がいくつかに固まってしまい、そこにも不満があったのだが、だんだんこれはこれで一種の「のれん」として愛せるようになってきた。ある意味 The Smiths 化といえよう。とってつけたような middle8 の付け方はいまでも改善の余地があると思うけどね。
いままでずっと、デペッシュ・モードに (たとえばほかにもシトロエンにも、)独自アーキテクチャ的なものを求めすぎていたのかもしれない。せっかく iPod 60G も買ったことだし、Exciter,Songs of Faith and Devotionの再評価もすすめることにしよう。
ギターという楽器への色眼鏡もやめよう。なにしろUltra所収の Barrel of a Gun では、エレクトリック・ギターのファズとかディストーションの素晴らしさを、いまさらながらに意外なことに Depeche Mode に教えてもらったのだから。