Playing the Angel / Depeche Mode

デペとはかれこれ24年のつきあいだ。でもここ十数年のものはあまりピンとこないものが多く、このアルバムも出てすぐには買ってなかった。90年代以降のデペをみると、ひたすら素晴らしかったViolatorを出したあとは、これもなかなかの傑作Ultraはあるものの (ティム・シメノンのプロデュースにも助けられたところが大きいと思う)、Songs of Faith and DevotionとかExciterといった愚作が並んでいたからだ。特にSongs of Faith and Devotion以降は、ついに楽器としてギターを大きくフィーチャーするという愚挙に出て、これまでの彼らの孤高な意思、独自アーキテクチャは喪われてしまった。

ギターは表現力豊かな楽器だ。バカでもアホでも、ギターをジャンジャカやっていればそれなりに音楽になってしまう。そこをあえて避けて、ヴォーカル以外は全員キーボードという、「Vo, Gt, Bs, Dr.」式のステレオタイプから距離を置いた立ち位置で、いかにロックを、アートを、文学を表現できるかのR&D的勝負と探求を行う集団として常にレスペクトし、単なる「好きなバンド」とかではない、自分の生活のなかで特別な位置にいつも置いていたDepeche Modeだったのだが。

ジャケットをみても、このPlaying the AngelはSongs of Faith and Devotionテイストというか、Exciter臭が感じられ、いまいちすぐ手がでない原因となっていた。先行シングルPreciousのビデオを見ても、これはEnjoy the Silenceの別テイクですか?スランプに陥ったがごとくのマーティンの作曲、やる気のないつならないCG、どうも食指が動かない。

購入して一回聴いた時点では、案の定予想通り、これは駄作だ、愚作だとおもった。本棚へ、さようなら。

Playing the Angel by DEPECHE MODE (2014-04-23)

Playing the Angel by DEPECHE MODE (2014-04-23)

 

だが、これは「スルメ」だった。思い直して2回目に聴いてみて、3回目、4回目、これはじわじわと俄然よくなってきた。プロデューサーは知らない人だが、デイヴ・バスコムのように質感あり詰まった音に仕上げている。Blur とか手がけた人らしい。もちろん曲想は全部暗い。もろにMartin L. Gore節のA Pain That I'm Used To, 3コードぎみな John the Revelator, そしてこれは驚いたことにMartinではなくてDave Gahan一味のほうの曲なのだが、かなりマーティン風味も感じられ、さらに(ちくしょう)ギターのリフが印象的で魅力的なSuffer Well, 40代に突入したMartinが朗々と歌い上げる、典型的なデペ黒コード進行のMacro.
シングルカットのPreciousも、Martinが二人の娘さんをかかえたまま離婚調停中という背景も頭におくと、歌詞のせつなさもなかなか沁みる。楽曲そのものは、手抜きというかEnjoy the Silence焼き直しというか、いかにもシングルカット向きの仕様につくっておいたヨ、というけれん味がいまだに好きではないけれど。
あとはまってしまったのがLilian. 貧乏男が金持ち娘にもてあそばれたヨー、というイジイジした暗い曲で、まるで恨み演歌のよう、これがはまると妙に心地よい。

結局Suffer Well, Macro, Lilianは毎日複数回は必ず聴いており、つまりこれは愛聴盤になった。つまり買ってよかった。マーティンの曲はむかしは作曲技法的にも一曲一曲に新たな発見があり、それがここ十数年は手法がいくつかに固まってしまい、そこにも不満があったのだが、だんだんこれはこれで一種の「のれん」として愛せるようになってきた。ある意味The Smiths化といえよう。とってつけたようなmiddle8の付け方はいまでも改善の余地があると思うけどね。
いままでずっと、デペッシュ・モードに (たとえばほかにもシトロエンにも、)独自アーキテクチャ的なものを求めすぎていたのかもしれない。せっかくiPod 60Gも買ったことだし、Exciter,Songs of Faith and Devotionの再評価もすすめることにしよう。
ギターという楽器への色眼鏡もやめよう。なにしろUltra所収のBarrel of a Gunでは、エレクトリック・ギターのファズとかディストーションの素晴らしさを、いまさらながらに意外なことにDepeche Modeに教えてもらったのだから。