BMW 320i (E46)

プラスに考えると、毎日ちがう車に乗れておもしろいということで、しかも代車がそのまた代車になるたびにいい車になっていくという、代車わらしべ長者といった状態だ。

現行の E46 にのったのははじめてだ。こりゃ、いいわ。

オーディオとエアコンの操作部分は先代や先々代に比べるとより電気仕掛けになっていて、そのぶんブラインド操作性は落ちてしまったけれど、ドライバーのほうを向いた包まれ感、黒いインテリア、独特の BMW の匂い(鼻でかぐ匂いね)、先太りのウインカーレバーとか、なつかしい感じで、ぼくは BMW に「戻って」いった。

ボディサイズはとり回しもいいし、車両感覚も一発でわかる。内装も気が効いている。ただイスの出来は、もちろんフランス車のそれとは比べるべくもない。

相変わらずのストレート 6 路線は、しかし昔のような、アイドリングしていてさえドロドロボボボボ車体ブルブルという、シルキーシックスという唄い文句にお前どこがシルキーやねん、控え目にいっても木綿だべ。と突っ込みたくなるようなものではなくなって、もはやトヨタのマークIIとかクラウンのような、遠くで精密部品たちがびぃーん、しゃーんと回る 1G, 1JZ な安楽な世界。それがこのうえない剛性感のうえに構築されていて、しかしさらに回してみると、4000 ぐらいから BMW サウンドがはじまって、さらに VTEC みたいなやつ (VAMOS だっけ?) のカムが切り替わるだかなんだかにいくと、さらにこれはたまらない。たしかに6発もいいねえ。内燃機関ばんざい。

足は硬いのだが、ゴムとバネが文句のつけようのない仕事をしているという感触で、どんな入力も一発でおさめる。これもたいへん気持ち良くすばらしい。そこへいくと、ハイドロニューマチックの、瞬間的な大入力に弱い、処理しきれなくてドシンバタンとショックが伝わる、この弱点が残酷に思い返されて、泣きそうになってしまった。ただまぁ首都高速をふたまわりほど流してみると、やっぱり BMW はジドウシャであって、シトローエンの「また何か別の乗物」とは (いい悪いではなく) ちがう種別の工業製品であった。はあはあ。

路上の BMW たちを見ると、しゃかしゃか車線変更しては得意そうに飛ばしやがって、あぁうざい奴ら。という手合いをよく見かけるが、たしかにこの素晴らしさでは、こうなるのも仕方がない。風呂あがりにビールを引っかけた男にむかってプハーと言ってはならないと禁止するようなもので、それはあまりにも人の道というものに対して無理というものだ。

これは確かにいいくるまだなぁ。しかし450万だかってのは高過ぎるなぁ。

あとデザイン、最近の BMW トレンドの、悪い三下エイリアンの乗物のようなカッコには、興味も愛着もまったくわかなかった。これは逆にいうとラッキーか。