きのうの診断

晴海のワイヤレスジャパンをそうそうに抜けて聖母病院へ。説明の終りのほうになんとかまにあった。

うーん、かなりすこぶる悪い。悪いので逆に手術しずらいという。

3週間投薬、2週間投薬やすみ。を1〜2クールくりかえしてから(可能なら)手術、ということに。

その「やすみ」のあいだに、帰宅も可能らしいので、そのときにミニ・クーパーの納車を合わせて、近所のドライブぐらいには、いってもらおう。

母からも兄をめぐる経緯のことを (母からはたぶんはじめて) きいて、んー、いろいろヒドイので、いろいろ落ちこむというか、かなり人間というものにいやな気分に。

おれも子を持つ親なので、たまらない。もしおれがいま3歳の娘や5歳の息子を奪われたら、新宿駅で何千発機関銃を乱射しようが、おさまらないだろう。

彼が育ての親から聞かされている話は、こちらの話とはあまりに違いすぎて、それはもちろん互いにそれぞれの側からの情報しか持ちえないわけだが、もう馬鹿らしいというか、すっかりどうでもよくなってしまった。

お金の単位が億からはじまる一族はまた感覚がちがうのだろうけど、とりあえず、相続争いだのなんだのする連中は地上の衛生のためにまとめて薬殺してしまえ。

おれが財産運用だの株取引だのといった話にまず第一に生物的憐愍と生理的嫌悪を抱く理由は、いちばんおおきいのはこのへんの経緯というか体験なんだろう。

おれと親父は、相続とかうざいものは、あらゆる放棄放棄なので。ああいうゴミ人間どもにはなりたくないね。

このへんの感情は、聴覚や視覚から大脳にいくまえに「あーオレしらない関係ないよーん」と、無意識にフィルタリングされて消滅しているのだが (君が代とか日の丸も同様)、たまには抑えがきかないこともある。